そう感じていませんか?
「どうなるのか予測できない将来」のことを考えることほど大変なことはありません。
「定年後」の話となれば百人百様、どんなに多くの意見を聞いたところで他人の人生です。
あくまで参考の話なのです。
苦労して考えたはずの「計画」も、いざ「実行」するとうまく進みません。
「考えるのは簡単だけど実際やるのは大変なんだぞ」と過去の自分に文句を言いたくなります。
そのような時にオススメなのが、今回ご紹介する3冊の書籍です。
どの話も「ノンフィクション」なのが驚きです。
3人の主人公は、目の前の難関をひとつずつ乗り越えていきます。
そのやり方は「チャレンジ」というより「ムチャするなあ」という印象です。
「キチンとした計画」を立てているようにはみえません。その時の「アイデア」や「運」で乗り切っていくのです。
「やりたいこと」に向かって突き進んでいるシンプルな勢いを感じます。
3冊は、今と異なる時代のものを選びました。
現在活躍している人だと、すぐに自分と比べてしまい、元気をもらうどころかさらに落ち込む場合もありますので。
では、さっそくはじめます。
「ボクの音楽武者修行」小澤 征爾 著(新潮文庫)

「ボクの音楽武者修行」は、日本を代表する指揮者 小澤征爾さんが初めて海外の音楽修行に臨んだ時のことを綴った自伝的エッセイです。
俳優の小澤征悦さんは息子さんで、作家の小澤征良さんはお嬢さんです。さらにいうと、歌手の小沢健二さんは甥御さんです。
やはりアーチストが多い家系ですね。
1959年(昭和34年)当時、海外で活躍している日本の指揮者など皆無でした。
その後の大躍進は、野球で例えるなら、大リーグに風穴を開けた野茂英雄選手のようなイメージです。
残念ながら小澤征爾さんは、2024年2月に88歳でお亡くなりになられました。
ほんとうに残念です。ご冥福をお祈りいたします。
「海外の音楽修行」というと高尚でスマートな話かと思いますが、小澤征爾さんは「東京芸術大学」出身というわけではなく、桐朋学園短期大学 音楽学部の一期生です。
「海外留学」をしていくエリート学生を横目に、「海外留学」のチャンスがなかった小澤征爾さんがとった行動はまさに「ムチャするなあ」の典型といえます。
富士重工業(現スバル)に頼み込んで、「ラビットジュニア」というスクーターを借り、安く乗せてもらえる「貨物船」を探し出してヨーロッパに向かうのです。
題名が「音楽留学」ではなく「音楽武者修行」となっているのはそのためです。
留学先が決まっていて、ヨーロッパに行ったわけではないのです。

その前から方々に頼んであったヨーロッパ行きのチャンスが待ち受けていた。ーーしかも貨物船に安く乗せてくれるというのだーー
意外に早くやって来たチャンスに、ぼくは喜んだり驚いたりした。ちょっと心細くもあったけれど。(中略)
むこうでの足として前から考えていた、スクーターかオートバイを借りるために、東京じゅうかけずり回った。何軒回ったかしれない。
最後に、亡くなられた富士重工の松尾清秀氏の奥様のお世話で、富士重工でラビットジュニア125ccの新型を手に入れることができた。その時富士重工から出された条件は次のようなものだ。
一、日本の国籍を明示すること。
一、音楽家であることを示すこと。
一、事故を起こさないこと。
この条件をかなえるために、ぼくは白いヘルメットにギターをかついで日の丸をつけたスクーターにまたがり、奇妙ないでたちの欧州行脚となったのである。
(P16~17「音楽武者修行へ出発」より)
「貨物船」に乗り込んで1959年2月に神戸港を出発した半年後の8月、偶然知ったフランス「第9回ブザンソン国際指揮者コンクール」で優勝するという「ウソ」のような展開になります。
「ブザンソン国際指揮者コンクール」に応募する時も一波乱あります。
手続き不備で締め切りに間に合わなかったのです。
ただ、そこであきらめないところが、その後の「運」をつかめる重要なポイントになります。
「日本大使館」に頼み込んだのです。
そこでもうまくいかず、次に向かったのが「アメリカ大使館」の音楽部です。
小澤征爾さんの突破力もすごいですが、「アメリカ大使館」が粋だなと思うところは、「素性も知れぬ日本人」の「フランスの指揮者コンクール」の仲介をしてくれるところです。
しかも応募締め切りの過ぎた。
あとは本書をぜひ読んでいただきたいと思います。
指揮者コンクール以降も「アイデア」と「運」で未来を切りひらいていく姿は痛快です。
ノンフィクションとは思えません。
本人だけは淡々としています。「やりたい」と思ったことに突き進んでいるだけなのです。
最後に、小澤征爾さんのその後の活躍をご紹介して終わりにさせていただきます。
つい力が入ってしまいます。
アメリカ五大オーケストラの1つである「ボストン交響楽団」の音楽監督を29年間も務めた後、世界三大歌劇場の1つ「ウィーン国立歌劇場」の音楽監督まで勤めます。
「ボストン交響楽団」の夏の活動拠点である「タングルウッド」には、「Seiji Ozawa Holl(小澤征爾ホール)」が建てられています。
さらに、マサチューセッツ州ボストン市は2020年9月1日を”Seiji Ozawa Day(小澤征爾の日)”に認定するほどです。
小澤征爾さんが、師匠である「齋藤秀雄氏」の教え子たちを結集して創設した「サイトウ・キネン・オーケストラ」は世界最高のオーケストラの一つです。
普段はソリストとして活躍する人たちが、「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」で集結する異色のオーケストラなのです。
フェスティバルのリハーサルの様子をみていただくと、小澤さんの人柄が感じられます。
»参考YouTube:「小澤征爾 ザ・リハーサル 1992 / Seiji Ozawa / Saito Kinen Festival Rehearsal 1992」(43:34)
「小澤征爾&サイトウ・キネン・オーケストラ」は、たくさんのCDや音楽配信がありますので、興味があるかたは、ぜひ聴いてみてください。
オススメの一枚ご紹介いたします。

「iモード事件」松永 真理 著(角川文庫)

「iモード事件」は、リクルートで「女性専用の就職・転職求人誌」である「とらばーゆ」の編集長だった松永真理さんがNTTドコモに転職し、「iモード」という世界初のIP接続サービスを開始するまでのドタバタ劇を綴ったビジネスエッセイです。
「とらばーゆ」も「iモード」も今の人は知りません。
しかし、これを読んでいるかたはわかるはずです。
前提説明なしで話が伝わるということは、本当に素晴らしいことだと思います。
この本の何がおもしろいのかというと「今まで世の中になかったコトを生み出す」「伝える」苦労がリアルに伝わってくるところです。
「iモード」という「ネーミング」を決めるだけでも一筋縄ではいきません。
SNSなどない時代のプロモーションも大変です。初回の「プレス発表」は大失敗でした。
「ネーミングは真理さんが責任を持ってやってくださいよ」夏野は無情にもこう言い放つ。(中略)
新しい商品を市場に出すとき、生みの親たちはそのネーミングに大変な労力をかける。名前のよしあしによって、売れゆきが大きく変わってくるからだ。
それにしても、あと一歩というところで、いいアイデアが出てこない。(中略)
もうギブアップ寸前だ。これだけ考えても出てこないのは、これで行けということか。(中略)
その朝も、またかと多少うんざりしながらも、目を通していると「モード」という言葉が目に大きく迫ってきた。
「栗ちゃん、これいいよ、モード、iモードだよ。モードを切り変えるというし、ファッションにも通じて、語感もシャレてる。」
それに五文字がいいという持論にも合っている。これならいける。私は確信した。
(P125~130「iモード誕生」より)
あれだけ広報資料を投げ込んでおいたのだから、嗅覚の鋭い記者が何人かは必ず顔を見せる。そして、翌朝の新聞には「iモード誕生」の記事が大きく載るーー。
そんな予想は見事に裏切られた。(中略)
会場にはたった六人の記者しか来ていなかったのだ。少し遅れて、一般紙の記者らしい人が、「ここが会場なのかな」と怪訝そうな顔を覗かせた。(中略)
会場では、私のコーラルピンクのスーツとフルメイクした顔だけが浮いていた。
(P173 ~174「たった七人の記者会見」より)
「今までなかったコトを生み出す」ことや、「ヒトに伝えること」の難しさを痛感させられます。

「定年後」に何をするかということは「今までなかったコトを生み出す」苦労にほかなりません。
そして、いい考えがひらめいたとしても「誰にもわかってもらえない」と覚悟するべきです。
松永真理さんも「アイデア」と「運」で未来を切りひらいています。
ここでも本人は淡々としており、ただ「やりたい」と思ったことに突き進んでいるだけです。
私が二十年つとめたリクルートを辞めてドコモに転職したのは、まさにiモードという新しいサービスを開発するためだった。
コンテンツの開発をやってほしいと言われて移ったとき、私に明確なビジョンがあったわけではない。これならいけそうだという確信があったわけでもない。
新しいメディアを立ち上げるという話に、面白そうじゃないと感じたに過ぎなかった。
(P9~10「iモード事件」より
その後、「iモード」が大ヒットし、一つの時代を築いたたことは皆さんの記憶にあるとおりです。
テクノロジーが進歩してフューチャーフォンがスマートフォンにかわり、ユーザーの行動や社会の意識が変化することで「iモード」も2026年3月31日にサービス終了が発表されました。
「とらばーゆ」も雑誌は休刊し、Webに移行しています。紙の時代ではなくなっていることに加え、就職・転職に男女をわける考え方そのものが変化しています。
なにごとも「外部環境の変化」に大きく影響されることを実感します。
「定年後」は、自分を取りまく「外部環境の変化」には注意する必要がありますね。
「エンデュアランス号漂流」アルフレッド・ランシング著(新潮文庫)

「エンデュアランス号漂流」は、1914年に南極大陸横断に挑戦した英国人探検家アーネスト・シャクルトン隊(28名)が遭難し、1年9カ月後に奇跡の生還を遂げる話を、米国ジャーナリストであるアルフレッド・ランシング氏が関係者に取材してまとめた書籍です。
「エンデュアランス号(不屈の精神)」というのは、シャクルトン隊が乗っていた「帆船」の名前です。
南極にいどむ船が「木造の帆船」ということがまず驚きです。
それだけでも「ムチャするなあ」と思わざるを得ません。
この実話は、1年9カ月もの絶望的な状況にもかかわらず全員が生還したことから、「リーダーシップ論」としてビジネスでも取り上げらえることがあります。
ただ、本人はリーダーシップなど考えていないでしょう。
誰もやったことがない南極大陸横断を「やりたかった」だけだと思います。
シャクルトンが隊員募集のために出したといわれている新聞広告が有名です。
5,000人も集まったそうです。

Men wanted for hazardous journey.
Low wages, bitter cold,long hours of complete darkness. Safe return doubtful.
Honour and recognition in event of success.
Ernest Shackleton
求む男子。至難の旅。
僅かな報酬。極寒。暗黒の続く日々。絶えざる危険。生還の保証なし。
ただし、成功の暁には名誉と称讃を得る。
アーネスト・シャクルトン
このコピーを「かっこいい」と感じた人は、今の時代「要注意人物」かもしれません。
高確率で「ハラスメント」で問題を起こす可能性があります。
でも、心で思うだけなら問題はありません。
「これくらいの気持ちがないと、今までなかった道を切りひらくことはできないのさ」と。
今まで経験したこともなく、予測もつきにくいコトを考えることは大変です。
「定年後」の考えがなかなかまとまらなくても、それはあたり前ではないでしょうか。
ましてや「実行」となるとなおさらです。うまくいく保証などないのですから。
シャクルトン隊の困難は「壮絶」の一言です。
一つ乗り越えると、それ以上の絶体絶命な状況が待ち受けています。
すべてを「アイデア」と「運」で乗り越えて全員生還しているのです。
この本は、「定年後」何かに「挑戦」するときの必読書といえます。
この実話を読めば、どんなに困難なことがあっても「シャクルトンよりはまだマシだ」と思えるからです。
今回は、3冊の書籍を紹介いたしました。
どの主人公も大胆な「挑戦」をしているように見えます。
ただ、本人たちのトーンはいたって淡々としており、「やりたいこと」をやっているだけのようです。
「定年後」は、キチンとした「計画」を立てなければいけないとか、「チャレンジ精神」という特別な「精神」が必要ということではなく、一番大切なことは「やりたい」と感じたことに突き進むということなのだなと気づかされます。
シンプルなことだったのです。
今回は以上です。
「定年後」について考えはじめたんだけど、最近ちっとも進まない
来年「定年」なのに「定年後」の計画をまだ立ててない
意気揚々と「定年後」をスタートしたのに、すっかり「チャレンジ精神」が萎えた